サクリファイス/近藤史恵 ★★★★☆

サクリファイス

サクリファイス

テル(@僕歩)の憧れだったツール・ド・フランスなどの自転車ロードレースの世界の話。全然詳しくなかったんだけど、あんなにも戦略が大事だったりするんだねえ。「先頭交代」の暗黙のルールとか、何だそれ?!って感じだし。他にも逃げ役・引き役・盾・山岳ポイント・アタック等等。「風が強く吹いている(http://d.hatena.ne.jp/noraneko244/20070215#1171545654)」で読んだ駅伝に雰囲気は近いかな、と思ったんだけど、それとは別の意味で過酷残酷な世界。「みんなで勝つ」「勝利は自分だけのものじゃない」ということのせつなくも厳しい意味が、これでもかと詰まっていて引き込まれた。この切り口はすっごいな!そりゃ売れまくってる(たぶん)わけだわー。ただ、スポーツ小説として読んだときには表現力としてはしをんさんの駅伝小説のが上、仕掛けとしてはこっちのが上、って感じかも。どっちも好きです私は。普通のミステリーよりこういうのが好きです。

主人公の白石誓(シライシ チカ)は自転車ロードレースの日本チーム・オッジで実力がありながらも自ら好んでアシストとして働いている選手。ときにはチームのエースのためにタイヤを差し出して犠牲になり、風除けとして捨て駒になる。自分が勝利できることはないし、記録にも名前は残らない。けれどそれがただ走りたいだけ、というチカには気持ちいい。チカの性格や考え方、姿勢が謙虚で、それがうまく表現されていて、すんごく読みやすかった。スポーツものは貪欲に自分の勝ちを目指す主人公がヨシとされることが多いだけに、この目線は新しかった。例えば↓

「わからないんだ」
「なにが」
「ゴールにいちばんに飛び込む意味が」
 勝つことの喜びだとか、誇りだとかそういうものが。
 自分の足で走っていたときもそうだった。ただ走ることは好きだったけれど、ゴールは少しも輝いて見えなかった。必死にゴールへ飛び込むほかの選手は、きっとぼくと違うものを見ているのだと思った。
 ぼくにはそれは見えない。どんなに目をこらしても。
(中略)
「たぶん、ちょっとどこかネジが外れてるんだと思っている」
 ぼくは笑いながらそう言った。
「どんなスポーツでも勝たなきゃプロとしてやっていけない。だけど、自転車は違う。自分が勝たなくても、走ることができる」

同期の次期エース伊庭や、現エースの石尾豪のキャラもいい。子どものようによく寝る石尾さんは特に謎めいてたなあ。中盤までほんと得体が知れずに恐ろしくて。そしてやってくる真相……勝利というのは、甘くない、そのことを思い知らされる。けどそれをやってのける石尾さんはたいしたもんだと思う。普通できんよ。香乃と袴田の方の描写が少なくて、凄く嫌なやつに思えるのだけが残念。まあ短いからページを割けないのは仕方ないのか。
冒頭の1ページの文章だけでも中盤過ぎまで引っ張られる力があるし(ほんとにもういつチカがそんな目に遭うのかとハラハラ)、そして最後にはタイトル「サクリファイス(犠牲)」の意味が見事に反転する。美しさと苦さ。泣けた。すばらしかった。短いし、ぜひ読んでください。そのためにネタバレは抑えときましたので!