シスカンパニー公演「瞼の母」@世田谷パブリックシアター


行ってまいりました、舞台「瞼の母」。「山のあなた」といい、着物づいてるなあ。そんで、クサナギツヨシはやっぱり着物が良く似合う。すらりと着物を着こなす姿、うつくしかったです。例の股旅・笠姿よりも着流しの着物姿が好きです。ふわりと舞う合羽はいいコスプレでしたけどもね!

そんなこんなで以下ネタバレ!かなり支離滅裂ですがおゆるしください。まとめらんねえよ!





現代っ子かつ戯曲苦手な私にとっては言葉遣いも用語も耳慣れないものでござんす(笑)し、これは読解力・理解力も充分あったほうがいいので、観れば観るほど味の出るスルメ舞台だと思ったです。というのも、同日の昼公演と夜公演を連続で観ることができたのですが。びっくりした、昼と夜でまるで印象が違ったの。

まず1回目に観た昼の感想。

  • 前半、なんか硬い? セリフが棒読みに聞こえるっぽい気が…忠太郎はそういうキャラなのか?
  • 半次郎のおふくろさんを超見てる!凝視!あんたそれ他人のお母さんだよー。んでも、妙齢の女性を見るたびに母の面影を探し求める忠太郎は、素直で、哀れで、とってもかわいかったのです(だからヤクザ者なんだってば…)。
  • 道中いろんな老女にやさしくしたり金を渡してやったり、忠太郎イイヒト!(あれ?ヤクザ者じゃなかった っけ) 一緒に観たYちゃんの弁「忠太郎いいひと伝説?かと思った」(笑)
  • 夜鷹の老女との対話も、赤の他人なのに、子を亡くした母と母を欠いている息子、互いに対する救いになっていてすばらしかったな。神野三鈴さんうまいー。去り際の歩き方に痺れました。
  • 忠太郎ったらヤクザ者と思えないほどおうつくしい…!! 特に雨の中のほっかむり姿。あああ後光が!あの雨の中の番傘、人の立つ位置、照明、あまりにもいい演出です。舞台の奥行きと広さが活きる。母に恋焦がれる孤独な忠太郎の、母を求めて三千里な道中せつなさがひしひしと。
  • いちばん好きなのは、水熊の店先で夜鷹と話し始めながら、戸口から顔を覗かせている店の者を、 顎をクイとして追っ払う忠太郎 のしぐさです。色っぺえわ鷹揚だわで腰砕け。忠太郎さま…だいて…!!!(笑)
  • 笑いどころが何箇所かあってほっとした。しかも全部が女性の演技だってとこが面白い。特に、「父帰る」でも一緒だった梅沢昌代さん!おんぶおばあちゃんはかんなり愛らしかった!
  • 母おはまと1対1で対峙する水熊の部屋のシーンだけが突出してうまい。ここだけ集中的に稽古したな?!(まあ山場ですしスロースターターですし)
  • 後半はすごくいい。母子の対面から。そっちの筋の人には見えないけど、現代で言うと、目の前にダブルの紫スーツ・派手な色シャツ・黒ネクタイで・人を殺して逃げてるヤクザの息子、が唐突に現れたって思ったらいいんですかね。
  • 決めゼリフ、タイトルにもなってる「瞼の上と下とを合わせりゃあいつでも会えたのに、骨を折ってわざわざ消しちまった…っ」は情感がこもっていてさすがの出来でした。肝だもんなあ。
  • 最後の人斬り後、鞘に納める前の刀を大きくくるんっと回すとこ、かっけーー!踊っているようだった。


で、2回目は2階席だったのですが。昼に見たときにもたついてるなーと思った前半が、光の速さでするする頭に入ってきたのです。ほんと早くて、あっというまに終りまでいってしまう感覚で、夢中で観ちゃいました。めちゃくちゃ面白かった…1回目よりも断然観やすかった。観客としての私の受取り方が変わったのか、舞台のノリが良かったのか、単に座席の差の影響なのか。とにかくすべてを含めて舞台は生き物だ、と改めて思ったです。

  • ちなみにパブリックシアター初めてだったんですが、すてきな造り・装飾のいい劇場ですね。特に2・3階席の、かなり高くなったスツール式の座席が私はお気に入り。
  • 合間の時間にパンフを読み込んで(用語解説ありがたい!)、そのせいか言葉も聞き取りやすくなってて、舞台の流れがすごくわかりやすくなった。だってさあ、「なりひらさま」「こもっぱりのそと」「けつめどう」とか聞いたってすぐに漢字に脳内変換できないべ?でもこういう漢字の多い言葉、すごくすきだ!覚えたい学びたい!
  • 夜の部のトラブルもありました。半次郎の家に書き置きを勢いよく刺すときに勢い余って短刀(?遠くて見えない)が破損。犯行告白の紙、貼れませんでした。んでも剛は機転をきかせてサラリと勢いよく紙を放り、庭先に飛び散った小道具はそのあとの幕間で踊りの役の人が回収してました。逆に、昼は最後の殺陣と去り際で、忠太郎は荷物を忘れてってたんですけどね(置いてっちゃうの?と不思議だった)。今回はちゃんと肩にかけて刀振り回してました。正直やりにくそうだった…笑。そのせいか、昼公演でかっこよかった刀回しは少し控えめでした。斬るタイミングも合ってなかったし……。荷物担いでたほうが、最後の股旅決め姿はサマになるんですけどね。難しいですね、ほんと時代劇っていうのは。
  • おはまとの対面のシーン。昼は少し子供っぽいかな、と思ったけど大人っぽくなってた!そして無残に拒絶されむせび泣いたあと、母を慕う息子→渡世人に豹変する忠太郎にはゾクゾクしました。語気荒く、おはまや水熊の店の人たちに当たり、すごむ忠太郎。低くなる声、乱暴な語尾。これはいいヤクザ者だ!もっとおこれ、いかれ!渡世人らしさを暴いてくれ、と祈るよこしまな私。人間が衝撃を受けたときに辿る、慟哭→放心→怒り→後悔→諦念の流れをすごくうまく、不自然さを感じさせずに表わしていたと思う。すべての意識を持っていかれる、集中力の必要な場面。めまぐるしく移り変わる不安定な感情にめまいがした。
  • で、夜公演にごろーさんが来てたらしーよ。当然気付かねえし、あははー。

今回の舞台でいちばん考えちゃったのは、やっぱり最後の弱気なセリフ回しの意味。「やだい、やだやだ、俺はもうやだ」「瞼を合わせりゃあ会える……、それでいいじゃねえか」、そして去った忠太郎はどういう気持ちだったのか。つれなくした母親を恨んだままヤクザな世界へ戻ったのか、母の心境を知ったものの直前に人を殺して世界が違うことを思い知り身を引いたのか、それとも弱い口調はつよがりゆえだったのか(たぶんこれ)、この演出じゃそのへんがはっきりとはわかんないじゃん!って思ったんだけど。いろいろ想像した末、どの解釈でもいいのかな、という気がしてきた。忠太郎は本気で慕って、おはまは本気で疑って、だからこそすれ違うかなしい母子の対面。だけどああやって本気の心をぶつけ合えただけで、母と子が対面した意味はあったんじゃないか。だって、瞼の母はどんなにやさしくったって偽物だよ、自分ひとりが勝手に夢描くだけの幻影だ。現実はそうじゃないことを痛い思いをして身に刻んで、それでも心に抱いた瞼の母の幻影は消せないまま世を渡っていく、それが大人になるってことじゃないかな。=忠太郎の自立、成長。リアルだけでも幻想だけでも人は生きていけない、よね。

とは言いつつ、また観たら全然違うふうに受取りそうな気もする。次に観るのが楽しみ、進化する演目が楽しみ、だからまたパンフ・インタビューもろもろ読み込んで臨みたいと思います。「父帰る/屋上の狂人」のシンプルさも好き、一度で理解しきれない内容も好き。舞台は生き物だからおもしろい!