大谷吉継/山元泰元

一般5冊目。この本では武将(武闘派)よりは智将寄りな吉継という印象。三成とも同じ寺の幼馴染みではなく、秀吉の部下として目をつけて刑部が訪ねて来たという出会い。武功を立てれなくて悔しがってたのは吉継よりも三成、という描き方でした。本によって微妙に違うから面白いね!

  • 関ヶ原で吉継がどうして西軍についたのか、というのがどの本でも描写のひとつの肝になってくると思うんだけど、この本では「三成の言葉に胸を刺されて & 病気を患っていても畳の上ではなく武士らしく戦場で死にたかったから」というのが採用されていた。吉継が動かなかったのは家康も年齢には勝てないはずだから待つべき、という考えを持っていたからだ、というふうに描かれてて、それだけじゃちょっと弱いかなーと思った。実際は病で動くに動けない、というのが真相なのかなーって気もするけど。
  • 茶会は、大阪での開催。
  • 朝鮮出兵時の様子や、武闘派が帰港したときの三成との対面→対立の様子、は新しい情報だった。あと、関ヶ原のあとの吉継関係者のその後が書いてあったのもうれしい。どうやら関ヶ原では、吉継だけが激烈な死に方をしたらしい。
  • 小説っぽさは薄くて、半分は歴史解説書みたいな感じだった。けどその少ない小説部分の会話がなかなか強烈で、特に三成とのほぼ喧嘩な説得のシーンとかは印象的。
  • 図が重宝する。



 あの朝鮮の役の軍議の席でも、あるいは日頃の評定でも、諸将から異見が出ると、相手の頭を割らんばかりの理屈をもって叩くだけであった。そのため、そなたはこれまで、三人の見方をつくったときには、必ず七人の敵をつくってきた……。
「だから、そなたでは、とても内府との戦いには勝てないだろう。万が一、勝ったとしても、そなたでは内府に変わって秀頼君を補佐し、豊臣の世を守り続けていくことはできないだろう」
 三成はなお唇を噛み、沈黙を続けた。
(中略)
「うむ、それがしには器量がないと……。敵が多いと……」
 三成は少しも怒らなかった。というより、怒りを胸のうちに飲み殺したのであろう、逆に深々と頷き、その後むしろ淋しげに呟いた。
「刑部よ、そなたの言うことはよくわかった。すべてもっともなことである。だが、いま一度聞いてほしい」
(中略)
「刑部よ、先ほどまでそなたの言うところをさんざんに聞いたから、それがしも言おう。そなたも重い病であれば、いったいいつまで命を長らえるつもりでいるのか。余命いくばくもないことは、自分でも分かっているだろう。ならば、我慢を重ねる、時を頼りにする、などと考えるのはもってのほかだ。定められた限りある命を、いま、これほどの大義のために投げ出そうと、なぜ考えてくれないのだ!」
「そなたは、これまでいつもそのような言い方をして、人を叩き伏せてきた……」
 とはいえ、三成が口にした「重い病い」のひと言は、改めて吉継の胸を突いた。命いくばくもないことも、三成の言う通りだった。吉継は羽織の袖口から白い布切れを取り出し、無言のままそれを目に当てた。
「おぬし、泣いているのか」
「そうではない、少々目が痒いだけだ」
 だが、三成には、そのときの声の感じから、吉継が溢れる涙を何度も拭っていることがわかった。
 確かに、病いに苦しんでいるはずの男を、鞭で打つような言い方をしたかもしれない。吉継の涙をこんなかたちで見るのは、三成としても耐え難いことであった。だが、「要は起つべきか否か、この大事だけは譲れない」と改めて思った。
 吉継にしても、三成の前で思わず涙を見せてしまうほど情けないことはなかった。二人は長年、艱難辛苦をともにしてきたものの、おそらくこれほど辛い時間を過ごしたことはなかったであろう。だが、それでも吉継は折れようとはしなかった。
「ふむ、そなたも骨身にこたえるような、なかなかのことを言う。だが、大義や死ぬ気だけでは、戦さはできない」
「……」

「左近よ、いや軍師殿よ、それがしの理屈やもの言い様に、なにか粗相があったであろうか」
「いや、そのようなことはござらん。ただ……」
「ただ、何であろうか」
「刑部殿は、ずいぶんお疲れのようでありました。われらが思っていたよりも重症の身にて、もはや戦さの采配などはおぼつかないのではありますまいか」
「うむ。だが、それがしをへいくわい(横柄)者などと難じたときには、鉈で薪を割るほどに勇ましかった。大敵たる内府の人格や実力についても、それがしより遥かに正しく捉えている。病身とはいえ、まだ全く衰えてはおらぬ」
 二人は、それぞれに何ごとかに想いを巡らしていたが、左近が腕組みを解いて小声で言った。
「ならば、あれほどの大事を打ち明けてしまったからには、謀りごとが外へ漏れてしまう恐れもありましょう。まことに遺憾ながら生かしておくわけにはまいらないでしょう」
「いや、待て。刑部という男はそのようなやつではない。あれほどの大事を打ち明けたからこそ、必ずやわれらのところに戻ってきてくれる……。しかも」
「しかも、何でありましょう」
「あの男は武辺の者だ。知り合ったころから、誰に対しても妙に度胸がすわっていて、いざ戦さとなっても、いつも浮き浮きとしていた」
(中略)
「そういう男だから、たとえ重い病いとはいえ、このまま畳のうえで床に伏せ、そのまま息を引き取るようなことはしないだろう」
「だから、味方してくれると申されるか」
「そうだ、必ずここへ戻ってきてくれる、必ずだ」
 左近は思わず苦笑した。主君・三成にも存外、人を信じて裏切られるような脇の甘さがあるのかもしれない、と思った。
「左近よ、三日だけ待ってほしい。それでもだめであれば、刑部を生かすも殺すもそなたの裁量にまかせよう」
「よく解りました、三日でございますな」

 だが、正純も意地が悪い。三成が気にしていることを持ち出してきた。
「ほう、腹切って人手にかからないのを葉武者と言われるか。ならば、大谷刑部殿は葉武者でありましたか」
 三成はついに激怒し、唾を吐きかけんばかりに言った。
「何を言うか!そなたのようなまだ尻の青い苦労知らずの小僧に、刑部の気持ちなど分かるはずがない!はやく自陣に帰り、暖かき布団にでももぐって眠るがいい」
 その後は、何を聞かれても、いっさい口を開かなかったという。
(中略)
(あの男は、あれほど重く深い病いに侵されているのに、このおれを最後まで見捨てなかった……)
 しかも加担してくれることを決めてからは、経験と知恵の限りを尽くして戦略を練り、戦策を立ててくれた。北国計略や関ヶ原でみせてくれた采配ぶりも、全くもって見事であった。
(中略)
(だが、今になって刑部の病いの様を思い出すと、たとえ戦さに勝っていたとしても、あの男は生きながらえただろうか?いや、そんなことはありえない……)
 そこまで考えたとき、三成は、頬に平手打ちを食らったときのような衝撃を感じた。
(そうか、刑部は、畳の上ではなく、戦場で死にたかったのだ……)
 吉継の死についてくり返し考えていると、しだいに目頭が熱くなり、やがて大粒の涙が溢れ出た。
(中略)
 それは、まぎれもなく刑部が、いかにもこの男らしく生き、この男らしく死んだ証なのだ……。三成はなお、溢れ出る涙を汚れた手で拭き続け、あまり眠れぬ一夜を過ごしてしまった。この男が何事かに想いを込め、誰か他人のためにこれだけ涙を流したのは初めてのことであった。