僕と彼女と彼女の生きる道

最近私の中で流行ってることがあります。それは、「はい!」という小柳凛師匠ふうのお返事。上司に呼ばれて「はい★きらりん(という感じで。)」。喧々囂々と取引先への対応方針を話し合ったあと、納得したらば「はい★」。きついことを言われても、やるべきことを見失っていないなら自分を鼓舞するためにも「はい!」。時々マジで、「あ、今の凛ちゃんぽかったぜ。ウフフフフ」とか思う。気持ち悪いですか。


第10回。ああ今回はあんまり辛くなかった。なぜって、それは一重にゆら先生のおかげだと思います。ゆら先生が徹朗のそばにいて、邪魔もせず掻き乱しもせずたきつけもせず、ただそこについていてくれたから。

そして義朗じいちゃん。良かった。気付いてくれて本当にほっとして、涙が出ました。だって、やっぱり何十年も家族のために一心不乱に働いてきてくれたお父さん族は偉いと思うから。家庭を顧みない云々はあるとしても。身を粉にして働いた人生の行き先が、誰からも顧みられない孤独だとは思いたくない。ちょっと自分のパパのことを思いました。

ゆら先生とのご対面。義朗までゆら先生の生徒になってしまうのかと思って、それが可笑しくて可笑しくて、二人のシーンは見ながらにやにやしてしまいました。だって親子揃って子どもみたいに手がかかって、大人の男の人はしょうがないなあー、って、母性本能でしょうか。
「凛ちゃんを呼んできて頂けますか?凛ちゃんのおじいちゃん」。よく、専業主婦の人が「誰々のお母さん」とだけ呼ばれるのは嫌、ちゃんと私個人の名前で呼んで欲しい、という話しを聞きます。それは凄いよくわかる心情です。だけどこのゆら先生の呼びかけで、「誰々の何々」という肩書きもさほど悪いことばかりじゃないんだとほんわかする。そこにはきっと絆の匂いがするからかもしれない。孫の部屋のドアを開けて、「凛、せんせいがいらしたぞ」と言った義朗の声が緊張でちょっと震えていた。社会で大勢の人間と渡り合ってきただろう企業戦士があんなちっさなおんなのこの前でドキドキしてて、微笑ましい。大杉さんうまいなあ。凛ちゃん仲良くしてやって!

審判のシーンは、つらかった。やっぱり。しかもそこに他人が入ってるとこがまた嫌だ。揚げ足の取り合いでしたね。堂々巡り、因果応報、家庭の中でそれぞれの気持ちがぐるぐる繋がって作用して、ついには加奈子の家出、という形で爆発したのがよくわかる。あのときの小柳家の中ではどうやっても止められなかったんだろう。

義朗じいちゃんの手紙。一生懸命書いたんだろうのがわかって凄く良い手紙だった。徹朗よかったね。うれしかったね。ともらい泣き。色んな絆があって、こんな晩年になって急に生まれてきたり、回復したり、だったらもしかして一緒に暮らしてなくても絆を繋いでいく方法があるかもしれない。「審判、勝てそうか?」「さあ」「さあって何だ」のとこでそんなことを考えました。ううーん。私はもしかして、凛ちゃんは加奈子んとこにいって、徹朗はゆら先生と教え教えられお付合いすればいいと思ってるのかな。わかんない。ラストの電話越し、眠るまでの睦言があんまり可愛かったせいか。あれはマジで可愛かった。うん、うん…って言いながらだんだん寝入っちゃう徹朗…はあ。でも徹朗の携帯がぴかぴか光ってて、ああそれって電話代かかるんじゃないの?!とどーでもいいことを考えたりして。徹朗がいい夢を見られますように。これからもずっと。こんなに結末の行方が気になるドラマは初めてです。