舞台|阪神淡路大震災 @東京芸術劇場@池袋


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あのときの神戸の現場の空気をなるべく忠実に真摯に誠実に、そのまま甦らせたかのような空間。いきなり叩きつけられた地震の轟音だけで体が震えて涙が滲んだ。地震が起こったその瞬間から、直後、夜、2日後、1ヶ月後、あたりに渦巻く悲劇や浮き彫りになった数々の問題。

  • 田舎から出てきて、安いアパートに暮らしていた大学生。隣のマンションと家賃が9000円違う。マンションは無事で、アパートはぺしゃんこ。「おまえ、9000円のために死んだなあ。親孝行して、先に死んでもうて」
  • 彼女を捜す若者。アパートの一室だけ、隣の銭湯の煙突が直撃してなくなっている。「試験、近かったんか?やっと出したとき、手にシャーペン持ったままでなあ」遺体を見に行こうとするのを引き止め、「見たらんとき!彼氏やろ?見たらんとき、かなえちゃん、かわいそうや…」
  • 体験した人としなかった人。家は全壊で避難所生活、空腹。なのに会社に電話すると後輩が「神戸大変なんですってね〜」と軽い調子で言いながら何か食べてる。挙げ句、「いつから会社来れます?」「ご飯とか宅急便で送りましょうか?」宅急便なんか、届くはずがない、家もない瓦礫の山なのに、と悔しがる。
  • 避難所でのボランティアと被災者の軋轢。救援物資をどんどん出せばいいと言うボランティア、親睦を深めるためにビールを飲むボランティア、寒いからといって車の中で排気ガスをまき散らして寝るボランティア。手伝うために来てくれてる、だから感謝しなくてはならない、だけど神経を逆撫でされる。「すんませんすんません」と謝りながら、「あんたらには帰る家があるやろ。うちらにはないんや。街歩いてるだけで涙出てくんねんで」と訴える被災者。
  • 行政のふがいなさ。昭和20年代に設定された災害時の被災者に出るお弁当代は860円。救援物資もある体育館では余り、別の場所では食べ物も水も衣料品も、情報さえも回ってこない。役所から配給にやってくる役人に「何をしとんや、どうなっとんや」と当たる被災者。だけど役人も被災していて、「おれだってくやしい。自分のことばっかりしてる同僚もおるけど、おれをそんなやつと一緒にせんといてください!9時5時いうても朝の9時から朝の5時までや。それでも時間が足りん。何でも言うてください!何でもします!」
  • 最後の無言部分は少しダレたけど、そのあとの一人一人のメッセージはなかなか。笑いを挟み込んできたのが私的には好感度大だった。関西人としてはああでなくちゃ!

淡々と、だけど本気で描かれていく。演目としてのストーリー性はなかったけど、それはあの地震を舞台に何かを描こうとしたわけじゃなくて、あの「地震そのもの」を伝えたいという意図のもとなんだろう。観れて良かった。あれから10年……私たちは防災に対する意識や知識・危機感だけは前より増えたけど、実際には何も備えれていない気がする。


芸術劇場はとてもいい場所にあってきれいで混んでもなくて、気に入った。いい発見。