クビシメロマンチスト―人間失格・零崎人識/西尾維新 ★★★★

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社ノベルス)

クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識 (講談社ノベルス)

デスノノベライズで読んだ西尾さん(http://d.hatena.ne.jp/noraneko244/20071130#1196436567)の、デビュー作でもある戯言シリーズ。「殺してバラして並べて揃えて晒してやんよ」の零崎人識が気になってたので読んでみた。これは2作目。1作目未読。いやー意外に面白かったし読み易かった。これからすっごい登場人物がざっくざく出てきそうだけど(戯言シリーズ - Wikipedia)。今回のお話、こういうこと、誰しも一度は考えたことがあるんじゃないかな。ない人もいるのかな。哲学的。だけどそういう伝えたい思想がちゃんと物語になってる、組み込まれてて不自然じゃない。後半の主人公の剥き出しっぷり・豹変ぶりもきもちいい。主人公の性質を表現するために鏡のように相対する人識を出してきてるわけで構成もうまい。叙述トリックが主人公の設定のおかげで鼻につかない。戯言で人を殺す、って能力なのかと思っちゃった。言葉の使い方とかリズムもいいねーこれは人気あるはずだよー(超今更)。でも今だからいいんであって、若い子が読んだら引き摺られそう。どうやら私の中で舞城王太郎とごっちゃになってたっぽいんだけど、改めます。他のも読んでみよ。

 人間不信っていうのかな? どこか致命傷的に他人を信用できないってこと。一度でも他人から迫害を受けたことのある人間は、残りの一生絶対に他人を信じられなくなるんだよ。
 そりゃ言い過ぎだと思うけど。
 思ってないね。
 思ってるさ。
 思ってないね。
 思ってないけどね。
 人間が差別することを大好きだってことを知ってる人は他人なんて信用しないんだよ。

 素直に感情を曝け出し、
 笑い、
 怒り、
 ときに悲しみの表情を涙とともに浮かべ、
 それでも最後には楽しそうな笑顔に戻り。
 それは、
 周りにいただけのぼくすらも、
 この、
 欠陥商品のぼくをすらも。
「…………」
 あるいは彼女はこのとき、既に覚悟を決めていたのかもしれない。彼女を救えなかった、否、圧倒的に救わなかったぼくが言ってもそれは言い訳に過ぎない戯言だろうが、しかしそれでもそう思う。
 葵井巫女子は自分の命運を認めていたのではなかったか、と。

これがあるから最後の一文、一語が効いてくる。巫女子やむいみは人間らしかった。明るくて友達がいて豊かな感情があって。戯言使いはそういった情がない欠陥品で自分をどうしようもないと思ってる。だけど人間はその情によって、欲によって嫉妬によって人を殺すわけで。どうしようもない。戯言使いは、そうやって周りを自分の都合どおりにしようとする人間を、憎悪する。そんな「人間らしい」はずの人たちの暴挙・振るまいに嫌気がさすような経験をしてきたのかもしれないねー(過去はシリーズが進めば明かされるのか?)。だから、ただ何の理由もなく情に根ざす訳もなく無差別殺人をくり返す人識のことは見逃して、友達を自分の都合のために殺した彼女たちのことは許さない。そういう身も蓋もない構図。めちゃくちゃなようでいて皮肉ってて、悪趣味といえば悪趣味。だけど人と人との関係で、どうしてそうなるのかってことが、不思議で不思議で不思議なことっていっぱいあったからちょっとだけ納得してしまったりもする。のがこわいところ。