イルカ/よしもとばなな ★★★★☆
- 作者: よしもとばなな
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/11/07
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いやだからと目をそむけるしかないのは子供じみていたが、時空のゆがみには幼い頃からとても敏感だった。なにかひとつのものがガンと力をかけられてゆがむ様子や、ひとつのものに人びとの意識が集約していくときの重さが私の神経には耐え難かった。耐え難いことをこれまで避けて通れたのは、とても幸運だった。
父がやもめになってからの暮らしぶりを見てもよくわかるのだが、差別的なものではなくて、純粋に肉体的に、男の人は世話をしたり育んだり、育てたりすることには向いていないのだと思うのだ。(中略)
なので、現代の女の人たちはどうしてもものごとの世話もしながら、外で働いて何かとぶつかることもおぼえなくてはならなくなり、それをすると肉体や精神に負担がかかる、という感じが実感としてあった。そしてその両方を生きがいとしている女の人たちに比べて、社会の中でいろいろなことにぶつかるおもしろさをこなしていくことがうまく発揮できない今の時代の男の人たちは、かっこよくなりようがなくて女の人たちに八つ当たりをしているように思える場面もたくさんあった。
それはおばあさんの時代とはまた違うひずみで、やはりけっこう根が深いものに見えた。はずれものの私にはどうすることもできないが、ながめていて切ない人々をたくさん見た。
「もしもあんたがまだ無職だったら、もしかしてシッターさんのバイトをしてもらうかもしれないよ。」
そうしたら、もうすき焼きの作り方だとかに、ますます文句は言えないわ、と私は思った。そうやって許さなくちゃいけないことが増えていくのは、幸せなことだった。潔癖でかたくるしかった自分の人生がぐちゃぐちゃに壊れてどろどろに混じっていく、今度はその泥の中からはどんな蓮が咲くんだろう? そう思った。
もういるものを、いないことにすることだけは、絶対にできないのだ。絶対に、絶対にだ。多分私と五郎が結婚してふたりきりでカナダに移住したって、五郎に催眠術をかけて過去を忘れさせたって、できないだろう。もしかしてできるかもしれないと思うことで、様々な矛盾が生じるのだ。
「お姉ちゃん、今、不幸?」
妹が聞いた。
「そんなことはないよ。全然。幸福でもないし、不幸でもない。」
私は答えた。ずっとそうだった。別に幸福でも不幸でもなく、すばらしかった。いつだってそうだったのだ。