サイコロジカル(下)─ 曳かれ者の小唄/西尾維新 ★★★★
けっこうネタバレ?してるかもなのでご注意を。
うわーうわーうわー。これは酷いわ。結局いーたんは、天才たちにもてあそばれてるってことだよね。上巻で引用した「所有されている」ってのに立ち返るわけで。だからいーたんは絶対に「好き」とは言わないし、自分の気持ちを戯言ばかりで話さないままでいるんだろう。哀川潤はちょっとそんな戯言遣いの境遇に同情的なんだろうかね…。読み終わってから、また上巻の最初の長い口上を読み返しちゃったよ。たいへんだ、いーたん…。いーたんの性格の歪さ卑屈さと、玖渚のあまりの能力値、そんな二人が魅かれ合ってしまった悲劇が、いつまでも二人を終わらせ続けるってことなんだろうか。そのへんの関係や心情の、言葉で説明しない表現が味がある。いざというシーンでの文章はかっこいいし、やっぱり才能ありますよね。犬に突っ込むとこの描写とかかなり好き。事件の方は、兎吊木の件はまあそうだろうと思ってたので、むしろ小唄の件の方にびっくりした。あ、そうだったですか。上巻で触れた天才と非天才を描く話としてはかなり高度なレベルで、博士と玖渚のエピは凡庸の例だったのかもと思えるほど。とにかく構成と話の展開がクビシメと同じくらい面白かった!
「………………」
うっすらとしたぼくの視界が最後に捉えたのは、やっぱり玖渚友だった。うっすらとして何も見えないけれど、けれど視界は青かった。
純で、
澄んで、
綺麗で、
心地いい。
なんて──青色。
「………………」
勝手なことを言ってもいいかい?
ぼくはきみが好きだ。
(中略)何もできませんでした。何も感じませんでした。何も手に入りませんでした。手に入らないから壊しました。手に入れたかったけれど壊しました。欲しかったから捨てました。信じたかったから背徳しました。好きだったから否定しました。守りたかったから傷つけました。心地よかったから逃げ出しました。仲良かったから孤独でした。羨ましかったから潰しました。必要なものは不必要になるまで。好きなものは嫌いになるまで。冷めている人間の振りをしました。(中略)自分以外の誰かを愛そうとしました。自分以外の誰かを愛せませんでした。愛し方も愛され方も平等に分かりませんでした。だから逃げました。だけど逃げられませんでした。どこからも。誰からも。
生きてることはつらかったです。
「……それじゃあ傑作といきましょうか」
殺して解して並べて揃えて──晒してやる。
こんな無茶苦茶に、ぼくは付き合わなくちゃならないのか? こんな無茶苦茶にぼくは従わなくちゃならないのか?(中略)
ああ、卿壱郎博士。
今ならあなたの気持ちが真実、分かる。
そして玖渚友。
兎吊木垓輔。
「てめーらの気持ちなんざ、考えて理解するどころか、聞いて納得するだけのことすら、このぼくにはできねえよ……」
まして、その先を思考することなど。
けれど最後に提出された回答こそが真実だ。
それがルール。
人形劇のルールだ。
理解できなくてもいい。納得できなくてもいい。
賞賛もいらない、評価もいらない。
何も強要しない、何も求めない。
ただ、従え。
羊のように沈黙し、豚のように喰らえ。
「──最ッ高のロジカルだ、下種野郎」
地獄という地獄を虐殺しろ。
虐殺という虐殺を虐殺しろ。
罪悪という罪悪を罪悪しろ。
絶望という絶望を絶望させろ。
混沌という混沌を混沌させろ。
屈従という屈従を屈従させろ。
遠慮はするな誰にはばかることもない。
我々は美しい世界に誇れ。
ここは死線の寝室だ、存分に乱れろ死線が許す。
「……好き勝手の好き自由、死んだり生き返ったり──男塾かよ、てめーらは」
真実……真実だって?
馬鹿げている。馬鹿げている。馬鹿げている。
何が真実だ。何が真相だ。
ふざけるな。
こんなのは──ただの結果じゃねえかよ。
だけど。
結果を出されてしまえば──文句は言えない。
「どう説明してもどう解説しても──戯言だな」
分からないんじゃない。
知らないんだ。
だから説明しないことが、ぼくの説明。
後ろに向かっての前進。
最後の防壁だ。