八日目の蝉

  

直木賞作家・角田光代の原作小説を、井上真央永作博美の主演で映画化したヒューマンサスペンス。監督は「孤高のメス」の成島出。1985年、自らが母親になれない絶望から、希和子(永作)は不倫相手の子を誘拐してわが子として育てる。4歳になり初めて実の両親の元に戻った恵理菜(井上)は、育ての母が誘拐犯であったと知り、心を閉ざしたまま成長する。やがて21歳になった恵理菜は妊娠するが、その相手もまた家庭を持つ男だった……。

原作もドラマも未見です。ブラックスワンで母と娘の映画はあんまり観たことないとか言ってたのに、続けて思いっきり母と娘の映画でした。以下、とりとめないネタバレ感想。



  • 大人はみんな身勝手だなあ、というのと、その中で育つ子どもには唯一何の罪もないんだけど、その子もやがて身勝手な大人になっていくという不思議。妙に納得する映画でした。巡り巡って永遠の流れを形成していくんだろう母と娘のお話。
  • タイトルは、七日しか生きない蝉たちの中で八日生きる蝉がいたらさみしいんじゃないか?いやいや、七日の蝉と違うものが見れていいんじゃないか、というモチーフ。たぶん他の人と違う家庭・世界を見ることになってしまった恵里菜のことなのかな。この子に美しいものをぜんぶ見せてあげたい、見せる義務がある、か。男親はどう思うんだろうねえ。劇中で、男は単純でろくなことしなくて、しかも排除されている。薫が男児だったらまた全然違うドラマになったんだろう。
  • 結局希和子の一人勝ちじゃないかという気も…別れはつらかっただろうけど、子育ての一番いいとこだけを味わったんだもの。奥さんもまあかわいそうだし(ちょっと弱すぎるけど)、誘拐された当人なんてもう…。バイト先で恵里菜と会話する父親へのしっぺ返しもけっこうきついもんがあったし。それにしても、子どもを堕胎した・流した女に対して罵りをかけるのは、自分の子が連れ去られて別の女の子になって戻ってくる・それからもずっと親子でいなきゃなんないのに、という状況を罰として与えられるほどの重大事、てことなのかもしれない。
  • 大阪のエンジェルホーム、絶妙にうさんくさかったwその場所がある時期の親子には確かに救いで幸福だったかもしれないけれど、そこで育った子ののちのちに悪い影響を残す可能性がある、というところまで妙にリアルだった。
  • 男と女の違いを希和子が説明するところで、「薫がいつか好きになったひと、それが男の人だよ」。こういうのが当然のように盛り込まれてるのを聞くにつけ、異性愛じゃないひとには生きにくいんだろうかなあと考えてしまう。まあ、当のかおるが「じゃあママは男なん?ママと結婚したいもん!」と言ってくれるので子どもはあなどれないよね。
  • 港での別れのシーンはさすがに盛り上げてきました。女刑事の、恵理菜への話しかけ言葉のわかってなさ加減もすごい。現実と常識との乖離が。冒頭が実母と希和子の独白で、ラストが恵理菜の慟哭、てのはちょっとバランスが悪かったかな…いや、恵理菜のアイデンティティが崩れてるとこから始まるし、親→子なんだからあれでいいのか。
  • 自我を形成した四歳までの人生を否定され、思い出さないように生きてきた恵理菜が立ち直ったのは、偽の母からもらった愛情の記憶と、自分のお腹のなかの子に同じようにしてあげようという気持ち。きっと実の父母と一緒に赤ちゃんを孫として育てなおさせてあげれば関係の修復もなされるだろう、という希望が見えたラストだった。たとえ正しい配置じゃなくとも過ごした時間を否定しては生きていけない。あと、裁判のあと希和子が薫の前に現れなかったのもよかったよね。娘にとって母親は過去であり、生まれてくる自分の子どもが未来である。もろもろのきもちや事情により今んとこ産むことは考えてないんだけど、こんなにも肯定の気持ちに溢れるもんなのか〜とちょっと感心してしまった。女性にしか響かないんじゃ?この映画…

なんにせよ、ずっと集中して見れたので面白い映画でした。孤独だったからって、あんな感じの劇団ひとりに惚れるなよwってとこを除けばw
角田さんは母と子の話をいっぱい書いてるみたいですねー、なぜか食指が伸びなくて一冊も読んだことないんだけど読んでみようかな…。