涼宮ハルヒの消失 2回目

 
リピート特典適応期間になったので2回目観に行ってきました。フィルムブクマは無事ゲット。キョンと古泉のシーンだったので満足ですw あ、やっぱり前回なかったキョンのセリフ抜けはちゃんと修正されてましたよー。


1回目(http://d.hatena.ne.jp/noraneko244/20100206#1265477851http://d.hatena.ne.jp/noraneko244/20100210#1265795923)観たときは、長門の恋心、そしてキョンハルヒと可愛い長門のどっちを選ぶのかって視点で観たんだけど、今回はちょっと違う目線と解釈で観てみました。よりキョンの気持ちに寄ってというか。
エンターキーを押すときにキョンハルヒ以外の三人だけを別れを告げるように見たのが気になってて。それはどっちの世界でもハルヒハルヒとして存在するから、見る必要がなかった、ということなんじゃないかと思って。改変世界に残ってても、あの時点でハルヒは団を結成しようとしていたわけだし、だとしたら変容世界を受け入れた場合失われるのはSOS団の他4人の超常的な能力と、四月から5人で過ごした時間・記憶と、そして長門の元の性格。その全部を、キョンは捨てずに取ったんだと考えた方が納得がいく。
つまり、

  • エラーを起こした元世界の長門、を含める超常能力のあるSOS団、それに振り回される非日常。

OR

  • ただの可愛い女の子(言うなればキョンが好きそうなみくるちゃん的な子。だからみくるちゃんは北高に残されたのか)である長門、を含める普通人なSOS団、振り回されることのない平和な日常。

シンプルー。そもそも踏みつけ自問自答の主題も一番強かったのは「異常な非日常が楽しくなかったといえるのか?」という部分だったもんね。
ハルヒはこの場合関係ない=普遍的な存在。長門よりハルヒ、ではなく、日常より非日常、団の絆と関係を取った。その世界がたとえ猫が喋ったりする異常で面倒なものだとしても。こう考えると、キョンの決め台詞「なぜならおれは、SOS団の団員そのいちだからだ」がすごく生きてくる。
キョンの選んだ結末が、長門にとってはどうだったのかというのが最後のシーンで引っかかっていたんだけど、それも今回はすんなり入ってきました。
校門の前でキョンが言った、「やっぱあっちの方がいい」ってのはキョンから出るにしたらなかなか強い、きつい言葉で。長門の起こした間違った方向への解決を叱っていさめる、たとえエラーを起こしてるんだとしてもありのままの長門を認めてあげる、それが長門には必要だったんだ、って理解できた。だって長門の後ろ盾は長門にそんな承認をくれはしないし(むしろ不都合)、みくる・古泉は一応対立組織の人間だし、できるのはキョンだけなんだもん。キョンだけがSOS団で普通の人間だから。エラーを起こしてる自分でもいいんだ、って認めてもらえて長門は嬉しかった(というかようやく今のままの世界・自分を存続させることを許容できた)んだなあってやっと思えた(遅いw)。前回は私も変質長門の可愛さに目が眩んでたんだなーきっと。長門は疲弊し混乱した挙げ句エラーの出た自分を殺して、キョンにとって魅力的であろう可愛い自分・キョンが選びたくなるであろう平穏な世界、保険で朝倉さん、をつくってキョンに選ばせようとしたんだもんね。キョン恋しさから、という動機の解釈もせつないけどこっちはこっちでせつない。そんでやっぱりそんな長門を助けたキョンはかっこいい。

そういえば、登場人物が同じで記憶が違う、という意味で鋼のシャンバラを思い出してたんだけど。シャンバラではエドは結局、違う世界の人々の生を認めて、ウィンリーや大佐と別れて、違う世界で生きていく決意をするんだよね。ちょうどキョンと逆に。それは鋼はパラレルワールドだったからなんだけど、世界の成り立ちからいってどっちの選択もちゃんと責任を負った重い決意だなあって思うんだよ。
とにかく2回目も観てよかった!色んな観方、登場人物それぞれの立ち位置から違う見方のできる映画はいい映画だと思うです。それだけ人物が生きているということだもの。やっぱ好きです消失映画。