東京都青少年育成条例メモ

漫画を描かない・読まない人も、将来は自分の身にふりかかってきます。エロ漫画・性表現を子どものために規制しよう、という正しく映る名目の裏に、表現や主張の自由を「国に」取り締まられてもいいのか、という問題が隠れています。時間のあるときに少しずつでいいから、色んな記事や意見を読んで、考えてみて下さい。



 

近親相姦や刑罰法規に触れる性行為を「不当に賛美・誇張する」マンガやアニメなどが規制の対象になっている。
これまでも、都の青少年条例でマンガに対する規制はあった。それは、性欲とか暴力とか自殺を激しく煽るとされるようなものだ。「マンガを読んでいてセックスしたくなっちゃったあ」と煽情されるイメージである。
今回はそのような性的刺戟をあおるものとは違う。
お父さんとセックスしている。強姦とか痴漢をされている。そのセックスをどちらも喜んでいる。あるいは、ものすごく自然なことのように描いている。とかいう類のことを規制したいのだ。そういうものがなぜいけないかといえば、お父さんとセックスをしたくてしたくてたまらんくなってしまうからではなくて、お父さんとセックスするのはそんなに変なことじゃないんだ、とか、強姦されても喜ぶっていうのがごく普通のこととしてあるんだ、という具合に、青少年の性観念を乱し、健全な育成を妨げるからである。

「子どもとのセックス」という話はどこかへ行っちゃったのだろうか?そうではない。
今度の条例案で規制しようとしている「刑罰法規に触れる性行為」は刑法にある強姦とかだけではない。他にも売買春や痴漢も含まれる。そして、たいていの都道府県ではそうであるように、18歳未満の子どもとのセックス自体も条例で禁止されているのだ。だから、未就学児、小学生、中学生、高校生などとのセックス自体もここにふくまれてくる。*1「子どもとのセックス」ということが形をかえて入っているのである。議会質疑でもそれは確認されている。
でも、近親相姦や刑罰法規に触れる性行為をただ描いただけで規制の対象になるのだろうか。東京都はそれを否定し、そのなかでも「不当に賛美・誇張」した場合だけなのだ、と議会で答えた。では「不当に賛美・誇張」とはどういうことだろうか。
それがさっきのように強姦の被害に遭った人がことさら喜んで性的悦楽にふけっているとか、あまりにも当たり前のことのように受け取られるお兄ちゃんとのセックスとか、そういう描写なのだ、と東京都は答えた。

これを読んで、混乱していた頭が一周回ってやっと理解できた気がします。「現実の刑罰法規に触れる性行為が、受ける側にとってあたかも気持ちいい事・当然の事のようにor繰り返し=不当に賛美・誇張して描かれている【と審議会が判断した】もの」を18禁に移動する。ということ。つまり、性行為の描写(の分量や消しの具合)そのものではなく、そのストーリーの中にある思想を読み取って規制するということ。そんなことできるのかな…。例えば、当初都が例にあげてた(なぜか後半では言わなくなってたけど)少女コミックの「僕は妹に恋をする」とか、かなり判断が難しそうなんだけど…。しかも、舞台が現代日本でないSFや時代劇のものまで含め、長い連載の作品なら途中だけ読んだってわからない場合もある、設定もあとから明かされる場合もある。現に、その「不当に賛美・誇張」の程度の基準がわからなくて、現場では既にもっと手前の段階で委縮が起こっているようです(資料は下の方に)。
それにこの基準でいくとBLも確実に引っ掛かりますね。そりゃそうだ、BLってのは男二人の肯定的な愛を描いたものがほとんどなんだから。BL様式になってるアラブ強姦ものとか、高校生ものとか、いっぱいありそうよね。あ、だから高校生ものは描かないでって言われたのか。
そういう表現を読んだ青少年が「ああ私も僕もこうしていいんだ」「これが正しいんだ」って思うか・そして実行に移すかっていったら…私は疑問に思う。現実とフィクションでどちらが重いかっていったら、やっぱり現実だよ。現実でちゃんと隣りの女の子を見たら、親や学校の性教育があったら(&漫画は漫画、現実は違うよと教えたら)、他の良書も合わせて読んでいれば、おのずと情操は育つんじゃないのか。今回の規制対象も、その雑多な世の中の情報のひとつに過ぎないと思う。
この理屈でいくと、漫画・アニメの中に描かれるそういった思想が有害だから18禁に移す、となったら、「暴力団に憧れるかもしれないから」「タバコを吸うヒーローに憧れるかもしれないから」「海賊行為をして喧嘩に明け暮れるゴムゴムの船長に憧れるかもしれないから」とか際限がなくなってくる。物語の中の犯罪行為とその思想を取り締まったってキリがないし、意味がないと思う。


その過程に行政が入り込む余地はない。創作物に規制を施そうにも明快な客観基準を見いだせないからだ。親を敬えというのは道徳的善。性的なものへの寛容も嫌悪も十人十色。近代国家において法と道徳の分離は必要条件、権力が表現行為に不当介入しないことが十分条件だ。

親が有害と感じるものを子から遠ざけたい思いは自然だが、懸念はたいてい取り越し苦労である。表現物の性的描写と実際の性犯罪とは何ら因果関係を見いだせないとするのが定説だ。何が有益かを判断する力は、家庭や地域が学びの機会を与え、多様な情報に触れる中で子自身が磨いていくものだろう。
この条例が守るのは子ではなく、親のかりそめの安心、警察の威厳ではないか。

不快なものを排除する規制のたぐいは、歯止めがかからなくなる。戦前の言論統制も国民に分かりやすい漫画の規制から始まった。独善的な正義や道徳で作品を焼く者は、いずれ人をも焼く。それこそ歴史が証明している。

  • 推進派(青少年治安対策本部桜井美香課長とメディアジャーナリスト渡辺真由子)と反対派(河合幹雄教授)がNHKラジオに出演→ Togetter - 「NHKが、都条例改正案についての意見を募集 #Hijitsuzai .」 http://togetter.com/li/79336
    • 出演した青少年治安対策本部の櫻井課長は「どのような例が具体的にあたるのか?という不安もよくわかるので、出版業界の方と今後よく話しあう(http://twitter.com/nhk_hitokoto/status/14971078673694722)」と言っている。これから話し合うのか。話し合ってから可決するべきだったんじゃないの?


ポッドキャスト

<考え方・その他>

「刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為」は要するに犯罪ということです。しかしながら、犯罪を犯すことと、「犯罪について表現すること」は違います。「犯罪について表現すること」を規制の論拠にすることは、危険な一線を越えることになります。暴力、薬物、組織犯罪等、何でも規制の対象となることを可能にする危険な先例を造ってはいけません。

・都の説明会をもって「保護者が納得した」わけではありません。なにしろ、その場では、条例案の条文について知らされていないのですから。
・ 都小Pの支持は、東京都の保護者全体(それどころか、都小Pを構成する個々のPTAすらも!)を代表するものではありません。

行政に規制を丸投げすることで得られる安心は、むしろ、安全を犠牲にすることになるかもしれず、子どもたちが、将来自律的に自らの幸福を獲得できる力を持つための障害にすらなりかねません。ゆえに、本条例の改正は必要ありません。


<報道・記事>

<都議会の態度>

青少年健全育成条例の改正案が都議会本会議で成立した。慎重な運用が求められることになったが、これも当然のことで、今さら付帯決議をつけることもないと思うが・・・。
たくさんの「条例改正反対」の意見が私に寄せられたが、目玉は次の方である。
竹下登元首相の孫と称される女性の方だったが、自らも漫画を書くので、「規制強化はしないでほしい」とのことだった。私は最後に「おじいちゃん(竹下元首相)に、過激な漫画をみせたらなんと言うだろうね。おじいちゃんに怒られないかどうか、自己判断して書いてよ」と申し上げておいた。
あくまでも陳列規制なのだから、自由に子どもが見て判断力を養うというなら、親が買って子どもといっしょに見ればよいのである。エロ漫画を買う勇気も、子どもに教える気も親にはないから、あえて陳列規制をするのだ。
2年後、3年後に反対論者と話してみたいものである。

<出版社の声・問題>

<参考>



(私の意見)

  • 表現に関して。無尽蔵に未成年に見せていいとは思っていないが、「行政が」あれはいいこれはダメと判断し、世に流通させなくするのは絶対反対。
  • 3月に「非実在青少年」条例が提出されてからずっと都議会・都知事のやり方を見てきたので、都議会及び警察官僚のことはもう1ミリも信用していない。あの人たち、絶対しめしめと思ってるし、この調子で他の条例案も通してきたしこれからも通そうとしてくると思う。こわいし、信用できない。
  • 拡大解釈を許す条文を廃止もしくは訂正してほしい。それが無理なら、審議会は透明化して恣意的な運用ができないようしっかり補足規定で縛れるようにしてほしい。


前回、可決時の記事→ http://d.hatena.ne.jp/noraneko244/20101214#1292324664